戦時中、再軍備の必要性を繰り返し訴えた昭和天皇ーー北野隆一記者に聞く

日本が激動の中にあった1933年から1945年の期間、天皇として果たすべき役目が戦後のタブーや検閲によって覆い隠され、賛否を分ける人物となった昭和天皇。1989年の崩御以降、公開されるようになった多くの記録から、好意的でない側面も含め、その思考と行動が明らかになっている。

戦時中、再軍備の必要性を繰り返し訴えた昭和天皇ーー北野隆一記者に聞く
靖國神社臨時大祭委員 編. Via Wikimedia Commons

長く朝日新聞の記者として取材を続けてきた北野隆一氏が、昭和天皇に関する新著『側近が見た昭和天皇 天皇の言動でたどる昭和史』を出版した。

朝日新聞記者で著者の北野隆一さん朝日新聞記者で著者の北野隆一さん
本書は昭和天皇の学術研究で最新の情報を紹介していますが、北野さんの論考の趣旨と本の概要を説明してください

第2次世界大戦で昭和天皇は、大日本帝国憲法上の「統治権の総攬(そうらん)者」、また軍を率いる「大元帥」として日本を率いる立場で戦争に臨みました。戦前、戦後の重要な局面で昭和天皇はどんな行動をとり、どんな発言をしたのでしょうか。

戦前・戦中の1936年から1944年まで侍従長を務めた百武三郎による『百武三郎日記』や、戦後の1948年から1953年まで宮内府や宮内庁の長官を務めた田島道治による『昭和天皇拝謁記』などが、ここ10年足らずの間に相次いで公開されました。いずれも戦争の時代前後に昭和天皇に仕えた側近の日記や記録で、天皇が側近だけに語った肉声が、リアルタイムでつづられた一級の史料といえます。

これら新史料を読み解き、人間・昭和天皇のどんな姿が明らかになったか。歴史家らの最新の研究結果を紹介するのが本書の主な目的です。

昭和天皇は戦後、タブー視される存在でしたが、崩御されたあとは数多くの伝記が刊行されました。今ではその生涯や戦争に関する決断など歴史の全容が明らかになったのでしょうか。

『昭和天皇実録』は、宮内庁書陵部が編修し、2014年に内容が公表されました。本文60冊と目次・凡例1冊の計61冊。編修には約3000点の史料が使われ、このうち『百武三郎日記』など約40点がこれまでに知られていない資料でした。

これまで記録が少なかった昭和天皇の幼少期など、初めて明らかにされた逸話も少なくありません。一方で、昭和天皇の発言が直接引用されることはきわめて少なく、要旨だけ紹介する形が多いといえます。

宮内庁は「確実な資料に基づいた内容のみを記載する方針」をとり、すでに知られた内容でも『昭和天皇実録』に触れられていないものも少なくありません。たとえば、靖国神社のA級戦犯合祀に不快感を示したとされる発言や、計11回に及んだ連合国軍総司令部(GHQ)最高司令官のダグラス・マッカーサーとの会見などです。

日本の近現代史や軍事史に詳しい山田朗・明治大学教授は『昭和天皇実録』について、「一貫して、平和愛好、戦争回避の姿勢だったというストーリー性を強く出し、そのイメージに反することにはふたをしているようです」と指摘しています。戦前・戦中の侍従武官や軍幹部の日記などから、昭和天皇は米国に対する開戦の意思決定に深くかかわり、開戦後もかなり細部にわたって戦争指導をしていたことが知られていますが、そうした点は『昭和天皇実録』から注意深く削除されているからです。 

昭和天皇にかかわる重要な問題の一つに、天皇が開戦と戦争の長期化にどれだけ関与していたかという問いがあります。(例えば、アメリカの歴史学者であるハーバート・ビックスが主張するように)昭和天皇は積極的な戦争を押し進めた一人だったのか、それとも「軍部や政治家たちの単なる駒」に過ぎなかったのか。その議論は解決したのでしょうか。

私が得ている結論は、天皇は「軍部や政治家たちの単なる駒」ではなかったということです。では「積極的な戦争を押し進めた一人」だったかといえば、そうだった時期もあるし、そうではなかった時期もあると思います。

昭和史に詳しいノンフィクション作家の保阪正康さんが昭和天皇の戦争観について語っている言葉があり、私もその考え方に全面的に賛同するので、以下に引用します。

「昭和天皇は好戦主義者でも和平主義者でもなく、皇統の維持が基本的な立場だったと考えています。できれば戦いたくはないが、皇位のため必要なら戦争もするし、平和のほうが皇位を守れるなら平和を選択するということです。

1941年の対米開戦にいたる過程で、天皇が初めは『戦争は嫌だ』と消極的だったのに、しだいに開戦を受けいれていくのは、軍事指導者が執拗に『戦わなければ国は存立しない、皇位を守れない』と説得したからでしょう。嫌だ嫌だと考えながらも、戦争を決断せざるを得ない立場になっていくことがわかる」

1933年、日本帝国陸軍観閲式 (歴史写真会 Wikimedia Commonsより)
明らかになった史料で、北野さんが驚いた点はありますか。日本の一般市民は、今でも昭和天皇について誤解していることがあるのでしょうか。

戦後の1948年から1953年にかけて宮内府や宮内庁の長官を務めた田島道治による『昭和天皇拝謁記』に、昭和天皇の率直な言葉が記されていました。そのなかに、私も驚かされた発言がいくつかありました。

1947年に施行された日本国憲法の第9条で、戦争放棄と戦力不保持が定められました。昭和天皇は公の場では憲法に関する評価は決して公言しませんでした。しかし田島ら側近に対しては、9条の規定にたびたび不満をもらし、憲法改正による再軍備の必要性を繰り返し説いていたことが、『昭和天皇拝謁記』の公表によって初めてわかりました。

『昭和天皇拝謁記』によると、天皇は戦後の民主主義には必ずしも肯定的ではなく、学生らが政治運動に参加することについて「困ったことだ」と嘆いています。これは日米安保条約の改定に反対する1960年の学生らによる安保闘争についても同様とみられます。昭和天皇が死去する直前、最晩年に書いたとみられる和歌の肉筆草稿を読み解くと、安保条約改定を進めようとして学生らの強い反対運動に遭い、条約改定の国会批准成立後に退陣した岸信介元首相に対して同情的だったことが、この肉筆原稿で初めて明らかになりました。

史料によれば、昭和天皇はソビエト連邦大使であった佐藤尚武、元外相の重光葵、元首相の近衛文麿らが即時降伏を強く促したにもかかわらず、終戦を遅らせたことが分かります。その間、アメリカ軍は広島や長崎を含む60以上の日本の都市を爆撃し、数十万人の命を奪いました。日本の大多数の国民は今、天皇がこの責任を負うべきだと考えているのでしょうか。

まず大多数の日本人は今、天皇についての知識も関心もほとんどないと思います。皇室について少し知識や関心のある人でも、昭和天皇の戦前、戦後の言動についてはそれほど詳しくなく、政府が流布させた「平和を愛した天皇」というイメージをそのまま信じている人も多いと思われます。

ただ少数ながらも、戦争についての責任を天皇が負うべきだと考える日本人はそれなりの割合で存在しています。とくに、日本がアジア諸国に対して加害責任を負うべきだと考える左派リベラル層に多いと思います。

敗戦直後の日本では、左派だけでなく、政府幹部や元軍人など戦前・戦中の日本を率いた指導者層の間でも、天皇は戦争の責任をとって退位すべきだという意見が有力でした。戦前の大日本帝国憲法上、天皇は無答責、つまり法的・政治的な責任を問われない立場だったとはいえ、「道義的な責任を取るべきだ」という声が根強かったのです。

この「退位論」について、『昭和天皇拝謁記』によると天皇自身は、「地位を去るという責任の取り方は私にとって安易である。道義上の責任を感ずればこそ苦しい再建のための努力をするのである」と、天皇の地位にとどまることが責任を果たすということだと語っていました。これに対し田島道治は長官就任前は、天皇は責任を取って退位すべきだと考えていたので、天皇のこの発言についても、「戦争前や戦争中の要路の人は今一人もいないのに陛下お一人は引き続いておいでというところに、退位論など出ると思います」などと返し、「責任を感じればこその在位」という天皇の言い分は世間ではなかなか理解されないだろうことを、率直に伝えています。

一部の人々にとって天皇は空虚な象徴に過ぎない、と言えるのではないかと思います。しかし中には、今もなお日本人のアイデンティティーの根幹と考える人もいるでしょう。例えば参政党は、明治天皇が1890年に発布した教育勅語への敬意を促し、日本帝国の「臣民」が守るべき徳目を概説しました。現代日本において、天皇制が持つ重要性についてどう考えますか。

現代日本では天皇の存在がほとんど意識されていません。ただ災害被災地のお見舞いや戦没者慰霊というニュースを通じて存在が意識されたり、儀式の際に華やかに盛装する姿に対するあこがれの視線が送られたりする程度だと思います。

もちろん、日本人のアイデンティティーを重視する右派にとっては、天皇は非常に重要な存在といえます。参政党をはじめ右派政党が教育勅語や靖国神社参拝などを重視するのもその一環といえます。

ただ、右派の天皇に対する視線は、天皇や皇族らの実際の人間像に即したものでは必ずしもなく、右派にとっての理想的な天皇像に実在の皇室が合わせるべきだという理想主義的なところがあります。その最たる点が皇位継承をめぐる議論です。天皇家ではここ40年間で秋篠宮家の悠仁親王しか男子が生まれていません。しかし右派は男系男子による皇位継承こそ日本の伝統だと主張し、女性天皇や女系天皇を強く拒否しています。

欧州の君主国が相次いで女性の王位継承を認めているのとは対照的に、日本では依然として男系男子のみの継承しか認めない。これも右派にとっては、自分たちが理想とする天皇や皇室のあり方に生身の天皇や皇室が合わせるべきだという考え方にこだわるあまり、人間としての天皇や皇室をありのままの姿で尊重するとか、このままでは天皇家の血統が途絶えるから男系男子継承の制度を見直そうとかいった考え方を拒絶してきたからといえます。

日本の世論調査では女性や女系天皇を認めるべきだという意見が7割以上に達していますが、女性や女系天皇に断固反対する3割ほどの右派の意見のほうが声が大きく、また国会議員ら政治家の間でも有力であるため、女性や女系天皇は20年前の2005年から議論されているにもかかわらず、実現していません。皇位継承をめぐる議論では、強い少数派のほうが弱い多数派よりも影響力をもっているという状況だと思います。