高市首相誕生は日本の女性が直面する壁にどう影響するか

アイスランドで9割の女性が家庭の中と外で仕事をやめ、「女性の休日」と称したゼネラル・ストライキを決行した1975年、女性の連帯が大きなうねりを作り出したことで国の動きが止まり、それがその後の女性大統領誕生につながった。この歴史的な日から50年経った2025年、日本でも初の女性首相が生まれた。

これまで日本がジェンダー不均衡と国内外で指摘され、批判されてきたことを考えれば、誇るべき一歩だ。だが大手を振って喜べない。むしろ、女性首相誕生によって日本の女性は分断されているように思えて、心が痛い。

原因は、内閣でジェンダー平等が達成されていないことや、労働者が働き過ぎて死んでいる国なのに、労働時間の規制緩和を唱えたり、中国との外交関係を悪化させる答弁をしたことにあるかもしれない。

女性だからこそ期待する理由

「彼女に期待するな」と言われればそれまでだが、「首相が女性である」だけで市井の女性なら期待してしまうものなのだ。

特に世襲議員が4割に上ると言われる日本で高市早苗氏は、地盤・看板・カバンを持たず、ゼロから基盤を作ってきた。男性の何倍も努力してきただろう。表立って語らない経験もあるだろう。国会議員に初当選した1993年、「あんたみたいな若い女性が国会に行って何をするつもりか」という言葉を浴びせられたと、日経新聞が紹介している。

もちろん、時勢も後押ししたはずだ。ここ数年、自民党の支持率が落ちていることから、女性を総裁に据えることで党勢の巻き返しを図ったとも考えられる。この効果はあった。新政権発足直後の報道各社世論調査によると、高市政権は歴代二位の支持率を記録した。

日本初の女性総理大臣のもとで、男性が大半を占める内閣が発足した Credit: 首相官邸ホームページ

なぜ女性は政治参画を断念するのか

日本はこれまで何度も国内外で、ジェンダーの不均衡が取りざたされてきた。政治に女性の声を反映させようと、政界入りを目指す女性は増えている。しかし、立候補しても当選しなければ、政治の舞台には立てない。政策や人気以前にジェンダーが邪魔をして複数の壁に直面することが、2025年に公表された「女性の政治参画への障壁等に関する調査研究」(内閣府)から分かっている。

一つ目の壁は家庭と選挙活動の両立だ。6割以上がこれを理由に立候補を断念している。女性は仕事だけでなく、育児、家事、自分の親や義理の親の介護などを担うことが多い。これだけでダブルワークやトリプルワーク状態。その上の議員活動。地方選挙なら地元で、国政なら全国を飛び回らなくてはならない。クローンでもいない限り、一日24時間あってもやり遂げることは不可能に近い。

次にハラスメント。4分の1がこれを理由に選挙から撤退している。そして立候補者の4割は、性的嫌がらせが首長や議員として活動する際に課題だと答えている。その懸念は「性差別やセクハラを受けることがある」と既に回答している当選議員の実体験から裏付けられる。

国家元首へのハラスメント

残念ながら、こうした壁は日本に限らない。11月初旬、メキシコ市内で街宣中のクラウディア・シェインバウム大統領が性被害に遭った。海外メディアも大きく報道したが、酔っているように見える男性が大統領の背後から抱きついたのだ。

こうした被害は多くの女性が経験している。背後から伸びる手を見て、背筋がゾワゾワする気持ち悪さを覚えたり、過去の被害を思い出して嫌な気分になったりしたに違いない。

シェインバウム氏は前任者の方針を踏襲して、国民と距離を隔てず草の根の意識を持つ大統領だ。この日も警備を最小限にしていたという。就任直後から安全が脅かされる状況に直面してはいたが、従来の方針を維持していた。そうした中で、路上での性犯罪は起きた。

「これは私が女性だから経験したこと。この国の女性はみな、同じような境遇にある。もし私がこれを事件化しなければ、メキシコの女性はどうすればいいのか。大統領の私もこのような被害に遭うのなら、この国の女性は一体どんなことをされているのか」

男性こそが暴力撲滅の議論を

女性にとって、国家元首であることさえ身を守る鎧にはならない。女性は国家元首だろうが企業のCEOや管理職だろうが、家庭でも電車でも路上でも、既婚か未婚か、若年かそうでないか、国籍も人種も階級をも問わず、教育レベルや出身地がどうであれ、共通してこうした暴力にさらされる。これはほとんど全員に起きると言っても過言ではない。女性は、一生に一度は性差別やハラスメントを経験すると言われているのだ。

欧州議会は、日本で高市政権が発足した時期に、右派勢力が移民の大量流入を問題にしていた。それに対し、アビール・アル・サハラーニ議員は「暴力を考える時、問題は加害者の人種や出身国ではなくジェンダーに注目すべきだ」と訴えていた。全ての男性が暴力の加害者になるわけではないが、女性に対する暴力は、たいてい男性が加害者だ。「男性こそ、女性や少女への暴力をなくすための議論をすべだ」と熱弁を振るった。もちろん、女性にハラスメントをする女性もいるが、圧倒的に男性が多い。

サハラーニ議員は、さまざまな角度から繰り返し、性別に基づく暴力(Gender-Based Violence)撲滅を欧州議会全体で取り組むよう呼び掛けている。

支配とコントロール

多くの人からすれば、暴力の問題は社会や政治のほんの一握りでしかないであろうし、加害を自覚しない側から見れば問題であると認めないかもしれない。

支配とコントロールを目的とする暴力は、個人間にとどまらない。日本では高市首相が就任1カ月も経たないうちに、台湾有事を巡る「存立危機事態」の答弁をし、中国との緊張が高まっている。辞任を求める声さえある。日本の与党・自民党総裁には任期があり、任期満了前の交代はよくあることだ。この政権も1年か数カ月の命なのか。

女性としての経験を共有しているからこそ期待した、日本の女性首相。新政権が短命で終わり、「だから女はダメなんだ」と評される可能性もある。しかし今回は(今回も?)短命であることを願ってしまう。真のリーダシップとは危機を煽るでも暴力を誘発するのでもない。暴力に脆弱なコミュニティこそ安心して過ごせるような視点を持ち、そうした政策を実行することではないだろうか。今こそ真剣に日本版「女性の休日」を呼びかける時かもしれない。

※『言論空間』より転載。