「バラ」の対価 —独立書店の苦悩と出版業界の構造的課題

日本における書店激減の背景には、活字離れを超えた出版業界の構造的歪みがある。「本屋 BREAD & ROSES」の現場が露わにするのは、価格決定権を奪われた独立書店が、自己搾取のもと、かろうじて空間を維持している実態だ。高齢化が進む地域で「まちのコモンズ」を紡ぐ実践から、文化的エッセンシャルワーカーへの正当な対価を問い直す。

「バラ」の対価 —独立書店の苦悩と出版業界の構造的課題

日本全国で書店が急速に減少している。この現象は「活字離れ」や「デジタル化」の文脈で説明されることが多いが、原因はそれだけではない。真の課題は、近代日本の出版流通構造そのものが、時代の変革や多様な書店のあり方に対応できず機能不全に陥っている点にある。今、まちの本屋の現場で何が起きているのか。独立書店「本屋 BREAD & ROSES」を訪ねた。

日本の書籍市場は右肩下がりで縮小している。2003年に全国で20,880件あった書店の数は、2025年には9,993件と過去20年で半減。紙の出版物の推定販売金額は、1996年の2兆6564億円をピークに、2025年ついに1兆円の大台を割り込んだ。市場規模がピーク時の3分の1近くまで収縮した計算になる。

かつて商店街において、八百屋や魚屋、パン屋と並んで本屋が軒を連ねていた風景は過去のものとなった。現在、全市区町村の約3割が「無書店自治体」であり、人々が日常の中で偶然本と出会う物理的空間は、日本地図の上から急速に消滅している。

しかし、こうした逆境に抗い、新たに本屋を始める人もいる。長年暮らす千葉県松戸市で、退職後の2023年に「本屋 BREAD & ROSES」を開業した鈴木祥司さんもその一人だ。

書店経営が奪う「読書の時間」

店名「BREAD & ROSES(パンとバラ)」は、20世紀初頭のアメリカの労働運動・女性運動のスローガン “The worker must have bread, but she must have roses, too.(労働者にはパンが必要だが、同時にバラも必要だ)” に由来する。生存ための糧(パン)のみならず、文化や人間の尊厳(バラ)を享受する権利を訴えた活動だ。30年以上労働組合に身を置いていた鈴木さんらしく「人が生きていくうえで必要な本を扱う」という意味を店名に託した。

店に並ぶ本は約3,000冊。その多くが鈴木さんの目利きによる新刊であり、一部に個人の蔵書からなる中古本も混ざる。生きづらさを抱える人たちの拠り所になればと、くらし・貧困、歴史・思想、労働、ジェンダー・人権、政治・国家、旅などさまざまなジャンルの本が並ぶ。

マンション1階の35平方メートルほどの空間にテナントとして入る。

本屋経営が険しい道であることは覚悟のうえ。周囲からは儲かるはずないと反対されたし、やらない理由は無数にあった。それでも「まちには本屋が必要だ」という強い思いが、鈴木さんを突き動かした。

開業から約3年、直面する現実は甘くない。営業時間は12時から20時、週休2日。ほぼ毎日鈴木さんが一人で店に立ち、発注、在庫管理、棚作りから経理までほとんどをワンオペレーションでこなす。毎月の店の家賃、光熱費そして自身の生活費を本の売上で賄うのは容易ではなく、時には「長時間働いて収入はこれだけか」と落胆し、眠れなくなる日もあるという。

現在、店に併設されたカフェスペースの収益や、頻繁に企画される読書会や著者を招いたトークイベントの参加費が書籍販売を補填している。しかし、それは同時に、仕入れやゲストとの調整といった新たな業務負担の増大も意味する。日々の仕事に追われ「本屋を始めたら読書する時間が減った」と鈴木さんは苦笑する。文化を供給する労働者が、自らの文化的な時間を奪われている状況だ。

店内で開催されるイベントの様子。奥でパソコンの前に座るのが鈴木さん(写真提供=本屋 BREAD & ROSES)。

再販売価格維持制度が生む構造的な歪み

平日の数時間、店に滞在している間にも、多くの人がドアを開け、本を手に取って購入していく光景が見られた。空間としては確実に機能している。それにもかかわらず、なぜ経営はラクではないのか。その原因は、近代日本が独自に最適化させてきた出版流通システムにある。

日本の出版物は通常「出版社→取次→書店→読者」と渡る。取次とはすなわち卸売業者で、書店が小売業者にあたる。一般的な取引において、取次から書店への書籍の卸値は「定価の約77%」で固定されている。つまり1,000円の新刊書が1冊売れたとしても、書店の粗利益はわずか230円(23%)に過ぎない。仮に固定費や人件費を含めた経費を月10万円とした場合、毎月435冊以上の本を売り続けなければ損益分岐点にすら達しない。

さらに、日本の出版システムを決定づけているのが、「再販売価格維持制度(再販制)」である。このルールによって、出版社が決めた定価での販売が義務付けられ、書店が独自の判断で値段を上げ下げすることは許されない。

民間の小売ビジネスの大原則は、市場の需給に合わせて「原価を抑える」か「売値を上げる」ことで利幅を調整することだ。しかし日本の書店は、仕入値(卸率)も売値(定価)も他者に決定され、そのマージンのコントロール権を完全に剥奪されている。価格決定権を持たない個人事業主が、既存の硬直したルールに従属せざるを得ない構造なのだ。これは、小売店が値付けや割引の決定権を持ち、自由価格競争の中で創意工夫を続ける英語圏の出版業界とは決定的に異なる。

もっとも、この定価絶対主義が、全国の文化普及に貢献を果たしてきたことは間違いない。地方の過疎地であっても輸送コストが上乗せされることなく、大都市と同一の価格で知的財産にアクセスできるからだ。また、値引き競争を防ぐことで、出版社は小ロットの良質な学術書や専門書を維持でき、著者の印税も守られてきた。

しかしこのシステムは、特に雑誌などの紙媒体が、情報メディア・娯楽として隆盛を極めた20世紀後半の、大量印刷大量消費がもたらす莫大な流通量によって維持されていたものに過ぎない。大型チェーン店ならまだしも、「本屋 BREAD & ROSES」のような一商品一冊を丁寧に届ける現代の小さな独立書店のビジネスモデルとは相性が悪い。

実際、少部数の注文に対応できる取次の選択肢は極めて限定されており、送料は書店側が自己負担しなければならない。だが、その送料を定価に転嫁することは制度上不可能だ。結果として、送料が小さくなるまとまった発注単位になるまで仕入れを待つか、売り時を逃さないためリスクを承知で自腹を切るかという、原価と速度の過酷なトレードオフに日々直面することになる。

この膠着状態は、自由市場を採用する英語圏と対照をなすだけでなく、書籍を「公共財」とみなし、法定の価格維持制度と国家による文化補助金を組み合わせることで独立系小売店を保護することに成功している、フランスのような欧州のモデルとも大きく異なる。

一冊一冊異なる、厳選された本が新刊として並ぶ(写真提供=本屋 BREAD & ROSES) 。

まちのコモンズとしての書店

コロナ禍以降、医療や物流といった生活インフラを支えるエッセンシャルワーカーの重要性が再認識されてきた。しかし、人間の精神や尊厳のインフラを維持する「文化的エッセンシャルワーカー」とその労働環境に対して、社会的な光が当てられることは極めて稀である。

今日の書店の現場が露わにしているのは、本という文化財への想いや、自身の労働環境を顧みず働く店主の個人的な善意、いわば自己搾取によって辛うじて空間が維持されているという限界ぎりぎりの実態である。これは、資本主義社会がこれまで家事や育児、介護といった「ケア労働」を軽んじ、無償または低賃金で構造的に搾取してきた構図とよく似ている。個人の精神的自己犠牲に依存しなければ存続できない産業構造は持続不可能であり、このままでは地域の文化的土壌の不毛化は避けられない。

これを、インターネットの時代の自然淘汰と切り捨てるのは簡単だ。しかし、物理的な書店が地域社会において果たす役割は、単なるパッケージ化された紙の小売業にとどまらない。それは、知への公平なアクセスを担保し、予期せぬ知的偶発性を提供し、見知らぬ他者が交差するサードプレイス、すなわち「まちのコモンズ(共有地)」なのである。

「本屋 BREAD & ROSES」が位置する千葉県松戸市の常盤平は、日本の高度経済成長の象徴ともいえる、1960年代に誕生した大規模団地を抱えるエリアだ。団地の創建から半世紀以上経た現在、この地域は日本社会が直面する高齢化の最前線へと変貌している。

このような地域環境において、この書店が果たす役割は大きい。高齢の住民が散歩がてら立ち寄ってお茶を飲み、棚に並ぶ新しい本に目を留め、店主と何気ない言葉を交わし、イベントで現代の社会課題について対話する。ここは、家庭でも病院でも福祉施設でもない、個人の尊厳を回復するためのオルタナティブな公共空間なのだ。「本屋があることが、街の価値としてもっと評価されてもいいはず」と鈴木さんは話す。

書店の社会的価値は、資本主義的な効率性や購買データのアルゴリズムでは決して測定できない。約100年前にアメリカの労働者たちが「パンだけでなくバラを」と叫んだように、人間の尊厳を支える文化資本、そして地域の孤立を防ぐ社会資本の観点から、私たちは書店というコモンズを再評価しなければならない。全国の書店を支える個々人が消耗し店を畳むその前に、この歪な産業構造を抜本的に見直すための、新たな連帯の枠組みが必要とされている。

取材・文・写真=町田紗季子